竜ちゃん 12月30日
あき竹城さんがお亡くなりになられました。
ボク、一度だけ名鉄ホールでお仕事をいたしました。
加賀まりこさん、田村亮さん、山本周五郎原作の『花の三十振袖』です。
古くは関千恵子さんや若水ヤエ子さん、そして塩沢ときさん同様、真面目にお芝居を
なさっても、面白さがにじみ出る素晴らしい女優さんでした。
ご冥福をお祈りいたします。
そして、今年は……
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなりました。
ボク、亡くなった時に、一旦ここにアップしようとしたのですが、ショックだった
のと、ボクなんかより、もっともっと関わりの深い方がたくさんいらっしゃるのに、
何だか便乗してるみたいで……止めました。
もう年末なので……
昔、まだお互い二十代前半のころ、ボクは劇団NLT、彼はテアトル・エコーの養成
所(俳優教室)の生徒でした。つまり最初は接点はなかったのです。
それが、夏休み (養成所も普通の学校のように夏休みがあったんです) に、両劇団
合同で夏期講座が開かれたんです。
NLTもエコーも喜劇が専門。片や六本木、片や恵比寿と近いし、それと養成所の先
生がダブってらしたんですわ。岡田正子先生や、楠瀬誠志郎さんのお父君で亡き楠瀬
一途先生とか。
それでかどうか、合同での夏期講座となって、なぜか劇団から「お前も受けろ」と言
われて参加しました。全部で10人弱でした。
そこに竜ちゃんがいたんです。
あ、寺門クンはなぜかいなかったなぁ。
毎日午前10時から12時まで。
で一緒に昼めしを食べる。
たまには飲みに行く。
竜ちゃんの知り合いの六本木のスナックにも行きました。
そこにいらしたのが山本昌平さんだったり。(^O^)
お互い関西人やからか、飲んで、歌って、ふざけて、笑って。
その頃の竜ちゃんは二枚目でしたよ。あ、見てくれじゃなく、演技が。(^O^)
ひと夏を過ごし、それぞれ別れて。
それから数年してテレビを見ていたら、何と竜ちゃんがダチョウ倶楽部という名でお
笑いで出てくる。驚いたなぁ。あ、その頃はまだ南部さんもいた頃です。
ボクはというと、劇作家デビューして、その頃知り合ったお偉い方に、ある日六本木
のクラブへ連れて行ってもらいました。
そこはショーパブのように演技スペースがあって、そこにダチョウ倶楽部が出てきた
んです。まだ南部さんもいる4人体制です。
短いコントの後、パイ投げが始まりました。パイ一皿確か200円やったと思います。
それを買ってダチョウさんめがけてぶつけるんですわ。
ボク出来ませんでした。
そしたら竜ちゃんと目があったんです。
竜ちゃんは目と仕草で「投げて」と言いました。
その時、連れて行ってくださった方が「パイの売り上げの幾らかが彼らに行くんだよ
」と仰って、買ってくださって。それで竜ちゃんを見ると「カモン」。
思いっ切り竜ちゃんに投げました。
終わって、会いたくて、店の人に聞くと、その店の入るビルを出て、横の路地を入る
とスタッフの喫煙所があるとのこと。で行きました。
しばらく待っていると、顔を洗った竜ちゃんが出てきました。
竜ちゃんは「イケちゃん (ボクはそう呼ばれてました)、俺たち、バカなことしてるだ
ろ」と言いました。
ボクは「何で。立派やん」と答えました。
それから彼らは3人体制になり、あれよあれよでお笑い界の一角を占めるようになり
ました。
彼らは太田プロさんです。何人も仕事をしました。山田邦ちゃん、高島礼子さん、
去年もマシンガンズさんやパーマ大佐としています。
だから、いつかは竜ちゃんと仕事をする日が来ると、ずっと楽しみにしていました。
もうあの夏期講習で共に学んだ仲間で、この世界に残っているのは、竜ちゃんとボク
しかいません。
だからいつかきっと、仕事ができると信じてました。
ボクは、太田プロさんやお笑い芸人さんのように、竜ちゃんとは大した縁もありませ
ん。
でも、彼がお笑いに行く前の、演劇の、若き日の竜ちゃんと関わりました。
テレビの前でですけれど、何の役にも立ちませんけれど、ずっと応援してました。
その竜ちゃんが亡くなりました。
どんな想いだったのか……
ご冥福をお祈りいたします。
2022年12月30日