何もかも難解だ。 2月6日
大至急の締め切りを二本抱えていて、とっくに終わってなきゃならないのに、
一週間たっても、二本ともまだ終わりません。
早いのが取り柄やのに……
というのも、理由は二つ。
一つは、風邪とインフルで遅れに遅れた以上、お手軽な本は出せないという矜持。
って、どんな矜持やねん。
つまりですね、これだけ待たせてこの程度? と思われてくないといういやらしさ。
もう一つは、これが予想に反して難しい本だったということなのです。
例えば、プロディーサーさんとの打ち合わせで「これは難解だぞ。できるかな?」と
思って帰宅して机に向かったら、あら、あっという間に書けちゃった、ということも
あるし、逆に「こんなん直ぐに書ける」と思っていざ掛かったら、あらあらあら、
これは難解だぞとなって、プロデューサーさんから「おおい、サボってんのか」と
連絡をもらうほど悩み遅れたこともありました。
そう。頭で出来ていてもいざワープロに向かうと、これが難題すなわち難解で、
辻褄、論理性がちっともあわなくて、悩んでいるといたずらに時間がどんどん
過ぎていくのでやんす。
今やっているのも直しなのですが、違う本を書くレベルで、既に二作書きました。
でも、どっちがいいかわからない。もっといいものがあるのかもしれないと思うと
もう一本書くのかぁ! となって、時間だけが過ぎていく。
そんな時は、1時間でも頭を変えよう、頭を休めようとなって、
ミステリを読みます。もちろん短編ですよ。
長編の一章だけと思って読みだして、結局読み終えて、締め切りがぁぁぁぁ! と
なってしまったことが何度もありましたので。
で読んだのがこれ。
全15章のうち、前書きと芦辺拓氏の推文と、2章だけですよ。
飯城勇三氏の『本格ミステリ戯作三昧』 評論集です。
これがなかなか。
まず飯城氏が贋作を書くのです。
例えば島田荘司先生の章では、飯城氏が、島田氏に成りすまして、
島田氏が描いたとする短編が掲載されている。
そのあとで、島田氏の特徴を評して見せる。
つまり贋作と評論の2章仕立てで、島田氏の作品を評しているわけです。
ちなみに飯城氏が島田先生のふりして書かれた『翼上の小鬼』
たった8ページとチョー短いのに面白い! 御手洗潔も大活躍!
これが島田氏から始まって、綾辻行人氏、天城一氏、高木彬光先生、
チェスタトン、アイリッシュ、ディクスン・カー、
更には、密室やそのトリックで著名な作品から、最後は飯城氏お得意の
エラリー・クイーンまで。
で島田氏と綾辻氏の2つだけ、400ページ強のうち、約50ページだけ読みました。
ああ、早く全部読みたい。特に高木先生とカーの贋作を。
※ あ、でもそれらの作家の名作群を読んでない方には絶対おすすめできません!
すべてネタバレしてますので。犯人もトリックも。
読んだことある人だけ、また読んだことある作品だけ選り分けてくださいまし。
さて……
評論の部分なのですが、これがなかなか難解で……
ぜんぜん頭が休まらへん。
うーんと思いながら、考えて考えて、そうか? と思ったり、
ただ綾辻氏のデビュー作で、そののち綾辻以前綾辻以後という、ミステリの歴史と
なった傑作『十角館の殺人』で、ボク知らなかったのですが、
かの本が出たとき、ボクはすぐに買って読んだのですが、
人物の記号化という、ものすごいことをおやりになって、
なのに「表現力の未熟、能力の稚拙と誤認されて激しい批判」
を浴びたそうなのです。
知らなかった。
ボク、出版されたとき、すぐに読んで感激して、友人たちに勧めて、
読了したその友人たち(僕を入れて四人かな)で飲んで盛り上がった記憶があります。
その時ボクが言った言葉「あれは絶対映像化、出けへんな」
みんなも「そうそう」とうなづきあいました。
つまり我々は、人物の記号化という初めての表現に舌を巻いていたわけです。
以来の綾辻氏の大ファンになって。全部読んでます。
それが出版時、馬鹿にされていたとは……
我々は、舞台やつまり芸能の世界にいるから、単純に舞台化映像化という観点を
持ったままで読んでしまったのかもしれません。だから稚拙だ未熟だとならずに
すごいことお考えになったなぁ、となったのかもしれません。
綾辻氏のような天才でも、誤解を受けるのですなぁ。
そんなことやないがな。
頭を休めるつもりが、頭が……
皆様も読む本にはお気を付けあそばせ。
なんやそれ。
結局締め切りがぁあああ!
2018年2月6日