考えてしまった相棒考 1月2日

〈ま〉の日常 観劇

 

  

 

相棒の正月スペシャルを見終えて、NHKのケータイ大喜利にチャンネルを

あわせた。

 

ルーキー大喜利ですごい答えが飛び出した。

 

問題「家族でのハワイ旅行がいまいち盛り上がりません。なぜ?」

答え「なぜ紅組が優勝なのか、釈然としない」

 

NHK、すごいなぁ。

国民のモヤモヤをこんな形で。(笑)

生放送やからか。選んだ放送作家がナイスなのか。(笑)

 

開かれたNHK! 素晴らしい!

 

 

 

という訳で、何がという訳や。

 

とにかく、相棒を見て、正月スペシャルとしては二年ぶりの「相棒考」を

やってみようと思ったわけでやんす。

 

先にお断りしておきます。

これはあくまでもボクの個人的な感想ですので、

ピント外れがあってもお許しを。先に謝っておきます。すんません。

 

あ、それと、これからドラマやDVDの感想も、観劇のカテゴリーに入れますね。

 

 

 

実は久々に相棒考をやってみようと思ったのは、内容ではありません。

いや、内容やわな。当たり前か。

話自体はなかなかでございました。見ごたえアリでございました。

今期ではボク的には一番でしたね。

欧米のミステリサスペンスのようで、つじつまも、構成も

すごくよくできていたと思います。

後ろから見たら単純な一本の糸になるのが最も美しいという僕の持論も

満たしていましたし。

 

では何を考えるというねん。

 

それは真犯人の動機です。

 

 

あ、その前に、有本警部の森岡。

なかなかええ役やん。

初めちょいと出て、でもずっとその人のことをやってくれる。

ボク的には最も好きなタイプの役でごんす。

 

 

 

 

 

 

いつもと違って写真の写真でごんす。握ってる指は右京さん。

 

ボクとお仕事を一緒にした特に若い方は聞いたことがあるでしょ。

作品の中でボクが一番好きな役、大概こういう役やと言うてるでしょ。

つまり〈労力〉と〈効果〉のバランスがおいしい方に振れてる役。

森岡、おいしいなぁ。

 

それと黒水署長の小宮さんもおいしい役でしたね。

 

 

 

で、さっきの動機です。

 

ここからはモロネタバレありです!

未見の方はお気をつけ遊ばせでやんす。

 

犯人の八嶋さんの和合町長、以下和合と記しますよ。

和合の動機はそれが楽しいから。

つまり愉快犯というか、そういう奴、というか。

 

これね、今から50年前から、というか昭和の後半は絶対アウトな動機なんですよ。

 

犯罪、特に殺人を犯す動機には何があるのか。

昭和は、〈痴情〉〈怨恨〉〈金銭〉〈立場〉〈思想〉

以上です。

 

この五つだけだったんですよ。

 

六つ目には〈殺人狂〉があったのですが、それを扱うのは江戸川乱歩のような

大衆通俗娯楽探偵小説のみで、上級推理の動機にはありえなかったのです。

まして「殺したかったから」なんて理由で物語を作ろうものなら、先輩方から

どやされましたね。

白い目で見られて、「バカかお前は」と言われたんですよ。

 

あ、一つだけ大丈夫だったのは時代劇の、おバカな武士の〈試し切り〉ってやつ。

あれは事実のようですし。

 

 

昨日のワイドナショウで、邦画がすごい元気という話が出ましたけれど、

昭和の終わり頃は、邦画は青息吐息でした。

昭和30年代までは映画は全盛で、でも以後斜陽になった。

で平成の頭頃まで作られていた邦画は、全部「人間を描け」「社会性を描け」

まぁつまらない。

 

すべて現実の世の中のリアリズムを映せというばかり。

横溝正史は下級で松本清張は上級。作り物は下級で現実のリアリズムは上級。

それがいやだから推理小説が売れなくなってたんでしょ。

それがつまらないから横溝大ブームが起こったんでしょ。

なのに映画の世界はまだそれを引きずり倒していた。

 

あ、去年の10月31日ここに書いたNLTコメディ新人戯曲賞の寸評で、

根底にリアリズムがないとコントになると書いたこととは、ちょいと違う話

ですからね。

 

 

30年代までの映画は大娯楽だったんです。

でも昭和の後半からは、文学、人間、現実、社会派、真面目、暗い……

 

つまりエンタテイメントじゃなくなったんです。

 

それが今では完全にエンタテイメントでしょ。

 

エンタテイメントでも人間は描けます。社会も描けます。

 

でもあの頃は、娯楽色が見えたら、堕落と言われたんですよ。

 

だから『首都消失』みたいな、メチャメチャおいしい題材なのに、

あんなつまんないことになってしまうのですよ。

 

 

話を動機に戻しますね。

 

平成8年(1996)、三谷さんの古畑任三郎で加藤治子さんの老脚本家が犯人の回、

長年仲の悪かった妹(絵沢萌子さん)を殺します。

全てが終わって最後に古畑さんが加藤さんに聞きます。「長年一緒に暮らしてらし

て、このお年になってなぜ?」

加藤さんは嬉しそうに答えます。「だっていい殺し方思いついちゃたんだもの」

 

これですよ。

ボク、テレビの前で拍手しました。快哉を叫びました。

ボクたちは出来なかったことを三谷さんがやってくださった。

 

これが、ミステリーやミステリードラマのなかで、鉄のような〈動機の決まり〉が

崩れ去った瞬間でした。

「ふざけてるのか手前ぇ!」と先輩から怒鳴られてきたことを、堂々とやっちゃった

瞬間でした。

勿論これより前にあったのかもしれませんが、高視聴率を誇る人気ドラマで、

こんなことをやっちゃったのは、最初の筈です。

 

以来、動機の鉄の分類は崩壊しました。

 

事実、現実に、「むしゃくしゃしたから」とか「誰でもよかった」とか

「人を殺してみたかった」といった昔では考えられない動機で人を殺す輩が

出てきましたし。

 

だから、今日(あ、もう夕べか)の相棒で、和合が楽しみから凶悪連続殺人を

やったって(現実にはダメですよ)ドラマ的にはいいわけです。

 

 

でも……

 

なんだろ。

 

この、興ざめ感……

 

 

和合が犯人と分かるまでは、すごく楽しんでいました。

こりゃ、久々に相棒考行くぞぉ、と思ってました。

 

それが、和合の動機が分かってから、八嶋さんが熱演すればするほど、

気が冷めていって……

 

それから一所懸命考えました。

 

かつて、あんなに渇望したドラマの中のリアリズム、

現実のリアリズムではなく、ドラマだからのリアリズム。

それが見事に描かれていたのに、興ざめするっていったい……

 

 

 

考えて考えて、やっと分かってきました。

つまり、推理ドラマにおいて、動機は大きな捜査要素です。

それがないに等しい場合、主人公の探偵(この場合は刑事の右京さん)は

ロジックのみで犯人にたどり着くより仕様がありません。

動機は置いといて、ロジックでそこまで到達する。

 

勿論、いつもそうですよ。

右京さんのロジック捜査は相棒の大きな見せ場ですし、

ボク自身もロジック大好きです。特にいつもそれを望んできたのだし。

 

勿論ロジックだけで到達するわけではありません。普通の刑事ドラマでは捜査で到達

します。

でも捜査で到達するには、容疑者の動機がはっきりしていないと捜査しません。

仮にしても、動機がないのだから、通り一遍だけです。

 

逆に動機が分からぬ場合は、ロジックで犯人に到達するしかなく、そこで初めて

動機が分かるわけです。

43分の通常ならそこそこの動機が。

でもスペシャルの大伽藍では、ロジックの果てに現れるのは、

驚愕のカタストロフィーでなければなりません。正月スペシャルなんですから。

驚愕の犯人、驚愕の動機、驚愕な全体像……

 

ね。

驚愕な動機がないんですよ。

勿論「やりたかった」という動機はありますよ。

逆に見れば意外な動機ですが。( ´艸`)

でも大伽藍のスペシャルを支えるには、余りに軽いものになっちゃってるんですよ。

 

たとえて言えば、ものすごい話で驚愕驚愕の連続なのに、最後の最後に主人公が

目を覚まし「夢か……」。

こんな感じなんですよ。

「夢だったのか」「ウソぴょ~ん」……おいおいおい。 

 

 

愉快犯を描くなら、それをメインにして真正面から描くべきなんです。

いつもの43分で、愉快犯の恐ろしい問題点をメインにして真正面から。

 

 

スペシャルで、発端から五人もの刑事が失踪し、なのに署では何もしてなくて、

スティーブン・キングの片田舎の住民皆がおかしいみたいな町が舞台で、

そんなありえない話なのに、事件には警視総監まで絡んでいそうで、

その警視総監まで殺されて……

 

ね。ものすごい話でしょ。

 

なのに、犯人の動機が「やりたかった」じゃ、「夢でした」や「ウソぴょ~ん」

とおんなじなんですよ。

 

 

だから動機が分かった瞬間に興ざめしちゃったんでしょうね。

 

 

もし、もし、和合の動機が、恐るべきものだったら。

すごい傑作になっていたでしょうね。

 

 

 

ちなみに和合が雇っていた外人部隊ばどうなったのでしょうね。

最後に黒水テレビが爆発するとき、和合は見張っていた警官たちを

倒して逃げています。

和合にそんな腕力などありません。つまり外人が働いたわけです。

そいつらどこいった?

 

ま、そんなことはいいです。よかないか。でもいいです。

 

それともう一つ。

冠城クンと美人キャスターさんがレストランで食事のシーンで

弾き語りのピアノ曲、相棒のスタッフさん、あの曲お好きですね。(笑)

 

 

閑話休題。

 

 

問題は動機です。

 

 

あの動機を描くなら、真正面から描くべきです。

 

古畑の場合は最初から加藤さんが犯人と分かっていて、それを古畑さんが

どう暴くのかが眼目で、動機は二の次だから成立したんです。

 

昨日のような大伽藍の正当本格サスペンスで、最後にあれでは……

 

 

ボクが、いえ、同世代の、物心ついたころにはまだエンタテイメントの映画が

残っていて、でもその後なくなって、思春期に横溝ブームが来て、邦画に興味

をなくした青春時代を過ごしたボクたち世代にとって、「やりたかったから」

という動機は創作上魅惑の題材なんです。

 

 

でも、なんでも使い方。

 

テーマとプランと展開とロジックと話の大きさとの兼ね合いなんですね。

 

 

 

そう思ってしまいました。

 

 

 

久々の相棒考は、明け方になって、ようやく完結しました。

 

 

 

実は、ボク自身、「やってみたかった」だけで大伽藍を構築する話を

書きたいと思ってたんでごんす。

似たことは書いたことがあります。

舞台で、君のためだけにこれだけのお芝居を作り上げました。つまりすべて

「ウソぴょ~ん」というコメディです。お陰様でそれは大ウケで成功しました。

次はミステリーだろうがコメディだろうが、物語の根幹をなす動機部分で

「やってみたかったから」をやってみようと密かに考えていたのです。

 

 

今夜の相棒はいい勉強になりました。

 

  

 

相棒も今シーズンもう半分終了。

 

もっと見たいなぁ。

 

というより、月日の経つのがやっぱり早い。

 

 

 

 

締め切りが……

 

 

 

 

追記

今日、関西では、相棒の、五年前の正月スペシャル『ピエロ』が再放送されました。

斎藤工クンが誘拐犯の回です。

改めて見てよくできています。

こんな素晴らしい作品を切に望みます。

 

 

 

 

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